同じ言葉を使われても、怒る人怒らない人がそれぞれあることから分かるが、悪口を言われて悲しみが生まれるのは相手ではなくて自分の心に原因がある。
罵倒されても別の作業に集中していれば、その時何も起きていないのと同じになる。
相手に力はなく、自分の心が相手に力を与えている。
だから例えば所謂言霊の正体は、あるとすれば自分の心となる。
流行の服は、それが流行の服であると自分が認識しているから、それを着ている人を見ると何かを感じたりする。
自分がそれを認識していなければ、たとえ流行の服であってもこの心はそれに何の力も見出さなくなる。
自分の心が全ての現象に力を与えている。
この心が無ければ、どんなものでも単なる光学的な映像や音に過ぎない。
心に心を自分で攻撃させることが、悪口となる。
ならばそれを認識しなければ悪口は成立しなくなる。
どんな音であれ姿であれ、この心が無ければ音であり、姿に過ぎない。
相手の全ての力は自分の中にある。