言語の限界

言語には伝達手段として限界があることについて書いていこうと思う。

 

例えば自転車の乗り方を言葉で説明されても自分で経験するまでは一切乗れるようにはならない。

 

言語は相手が体感した記憶を想起させるだけなので、相手が経験したことがないことは構造的に既存の記憶の合成による近似以外の手段でしか伝達することができない。

 

自転車に乗ったことがある人には自転車の乗り方を言語で想起してもらうことは可能だが、自転車に乗ったことがない人に対しては不可能となる。

 

これが言語の限界となる。

 

だから、何でもかんでも概念にしようとすると、言語化不可能の体感が軽視されやすい。

 

情報量で言えば本来言語の方が体感よりも圧倒的に劣る。この体感は自他による証明など一切不要で今この瞬間に非言語であるが即時的に存る。