体験談ですが、オカルトにハマりすぎると頭おかしくなります。
なのでみんなも気をつけましょうという話です。
さて匿名だから言えますが、割とマジで悟ろうと思ってた時期がありまして、それについて語っていこうと思います。
現実だと笑い話にすらならないですね。
悟り系統のブログに影響を受ける
宗教系では無いですが、オカルト系のブログに影響を受けて瞑想とかにハマり始めたんですよね。明晰夢とか、無意識とかそういう系です。
その中には悟りという概念もあったのですが、これに神秘を感じてしまったんですね。
一応説明すれば、この世の全ての苦しみが消滅した安寧の境地らしいです。
精神的、観念的なものはかなり好きだったので結構調べるハメになりました。
いろんな本やブログ記事を読み漁り、当時の自分なりに考え、まとめ、最終的に一つの謎の結論に辿り着きました。
それは「悟りは思考によって辿り着けないのだ」ということです。あまりに「?」な結論に驚くばかりだと思います。
少し思い出すと、どうも世の中には思考によって悟っている人がいない、というのが当時の僕の根拠になります。
こうして僕は変な瞑想を日常的にやることにしました。
普段の暮らしを無意識に全て任せようと思いました。
自分の感情や思考を含めて、全てを傍観しようと思いました。
アホくさいですが部分的には、確かに上手くいった部分がありました。
どれが自分の意識か分からなくなる
最終的に僕はこう思いました。
ならば無意識に全部任せた方が良いんじゃないか?
そうすれば全てが上手くいくのではないか?
最初は良かったんですよ。色々と幸先が良くて、これは確かに無意識の仕業だ!と思えるような出来事に遭遇したりしました。
しかし中途半端に上手くいくと調子に乗り始めるんですよね。
段々とおかしくなっていきました。
それがある日の夜に限界を迎えました。
何が無意識で、何が意識なのか?という問いが頭の中をグルグルと回り続けることになりました。
「無意識に任せるとは何だ?」
「今俺は思考したがこれは無意識なのか?」
「あれ?今のは?だとしたら無意識って何なんだ?あれ?」
こんな感じの思考が自分の意思を無視して永遠にループしてしまう感覚です。
ひたすらに気持ち悪くなりました。そして世界から現実感が消えていきました。妄想で頭が支配されていきました。
壁の染みがドラゴンに見え始め、自分の右手は勇者の剣を握っており、自分の部屋はダンジョンになっていました。
パプリカって言う映画がありますが正にあんな感じで、現実に居つつ夢の中に入り始めていました。
まぁ、これは若干盛りました。ですが感覚としては大体こんな感じです。
実際は幻覚が見えるほどではなく、連想から連想が止まらないと言う感覚でした。
自分の意思ではそれを制御できず、さらに気分が悪くなる始末。ですがこれはヤバいと言う自覚はありました。「これが精神病の人の感覚なのか?」って感じ。
現実という材料から空想が作られ、その空想を基に更に空想が作られる。
これがループして自分の世界から帰ってこられなくなる感覚。
「俺は発狂するのか」と絶望の中眠りました。
寝て起きたら治った
本当に良かった。もう正気なだけで充分幸せだと
感じました。
そしてもうオカルトは懲り懲りだよーってなりました。嫌でも体で分からせられた感じです。
何事も偏り過ぎないことが重要ですね、中庸ですよ。中庸。
まとめ
深淵を覗くとき、深淵もまた君を覗いているのだ。
オカルト系は確かに面白いし全部が全部嘘というわけでも無いけど、ハマりすぎには気をつけよう。
マジで頭おかしくなるから。
あんまり観念的なことばかりに関心を持ってると、割とすぐに限界が来る。バランスが大事なんだなー。
という自戒で終わりです。