ブログを書いてて感じるワザとらしさ

なんだかんだで50記事くらい書いてきた。

文字数にすると大体1000*50で五万文字くらい?原稿用紙なら125枚ってところか。

そう考えると我ながら結構書いたよなーと思う。小中学生のときは3,4枚でも中々多かった印象があるし。

ま、一日1枚でも続ければ何百枚になるだろうし別に大したことでもないか。

でもそれはそれで気力いるけどなぁ、義務感だけだとすぐ飽きるだろうし。

実際に書いててもそう感じるんだよな。結局の所書いてて楽しいから続けてるんだろう。
それに自分の思想(笑)を公開していきたいという気持ちもある。

だが、書くのってやはり難しいよな。

なんかしっくりくる文体がないんだよなぁ、そりゃあお前に文才がないからって言われりゃそうなんだけどさ。

例えば最初の頃は謎の敬語で書いてたけど、この書き方なんか違和感あるんだよな。

ワザとらしいというか、お前誰だよ(笑)的なぎこちなさというか。

こういうのって慣れなんだろうか。
他のブログは敬語で書いてる人多いけど、みんなはそれが書きやすいんスかね。

なんか煽ってるみたいになったけど、別にそういうわけじゃないんだよなぁ。書き直すのも面倒くさいし。

まぁ敬語の文体が気に食わない?なら書き直せばいいじゃない、と思うかもしれないが、そうもいかないんだよな。

もう黒歴史みたいになっていて自分でもあまり読み返したく無い。

でも消すのもなぁって感じ。

めんどくせーな。こいつ。じゃあ敬語を付かないで書けばいーじゃん。通称常体。

まぁ確かに敬語よりは書きやすいのである。これは本ばっか読んでるから何だろうかね。
本読んでる、とかもあんまり書きたくないけどな。人によっては煽りに捉えられるし。

とはいえ書きやすいといえば書きやすい、敬語と比べても圧倒的に書きやすい。

だがね、やはり文章を構成する必要があるんだよなぁ。いや、当たり前だけれども。
でも何か違う気がするんだよなー。

構成すると言う段階で既にワザとらしいって感じ。

別に悪いとは言ってないけど、なんか勢いが失われるって言うか、自然な感じがなくなるって感じ。

ま、俺自身の構成力の無さだろうな、問題は。
本当に文がうまければ、そう言った自然な感じも失わずに構成できるはずだしな。

だからワザとらしくなる。
書いてても自分でも違和感を感じる、こうして弁明したくなる。

じゃあ、こうして今も記事を書いてるわけだけど、ワザとらしさを感じてるか?と言われればどうか。

実は今はそうでもない、努めて構成しないように、思考をそのまま書く様にしている。

そのおかげかは知らんが、文同士の連関が普段より自然な気がするなぁ。

上手いとこ構成というレールに乗せて制御できれば完璧なんだろうな。自然な文体と説得力ある理論。

自分にも相手にもワザとらしさを感じさせない文を書きてぇなあ。