散歩というものは良い。
特にこの時期(8月)の宵にする散歩は最高だ。
散歩に出るとまず、宵の明星を見つけた。
気だるさで染まった空に、一つだけ星が光っていた。
散歩なんてする気はなかった。
というのも昼間やる散歩やジョギングなどは、義務感と偽善とを感じてあまり好きではないのだ。
だが、宵の雰囲気を感じたくなり、こうして近所を徘徊し始めた。
ぼんやりと歩いていると、夏の夜風を感じ始めた。
夜が近づき、黒く染まり始めた木々と供に歩いていると、日々の疲れも癒されていくような感じがする。
薄暗く、だけど光が無いわけではない。
終わりとはじまりの中間にあるが、そのどちらでもない。
この雰囲気に自分を感じてひたすらに心地が良い。
犬に突然吠えられた。
俺はお前んちの前を通っただけじゃないか。
だから犬は嫌なんだ。お前の縄張りなんかどうだっていいんだよ。
浅ましい犬め。
帰りはこのルートを通らないことに決めた。
こうして虫の声を聴きながら歩いていると、虫と会話ができるんじゃないかという気分になる。
人とだって言語だけでコミュニケーションをとっているわけではない。
声音や身振りだけでも意思疎通は出来る。
案外、どんな生物とでも心を通わせることができるのかもしれない。
車がたまに通るが、かなりうるさくて結構嫌な気分になる。
だが散歩ルートがこれしかないのだ。
空を見ると自由が広がっていた。
足元に生えている植物を見ていると、自分を見ているような気分になる。
元気に生えていることになんて恐らく意味など無いのだろう。
これと似ているのはさっき見た小さい虫だ。
ジグザグに動いていてたまに飛んだりする。
元気でほほえましかったが、意味は見いだせなかった。
自然が多い道に入った。
大きな木が道に影を落としていて、周りよりさらに暗くなっている。
どこかからは水の流れる音が聞こえる。
結構怖い。
江戸時代の怪談のような雰囲気を感じた。
後ろからベルのような音がする。
動揺する自分を客観的に見ることでごまかそう。
虫の鳴き声だった。
辻斬りに「なぜ斬る」と問うのは、「なぜ生きる」と問うのと同じだと思った。
家までたどり着くと、玄関先でタバコを吸う父に会った。
宵の散歩はセンチメンタルな気分にさせてくれる。