ディープフェイクから現実とは何かを考える

ディープフェイクというものがあります。


これは何か簡単に説明すると、AIを使い動画に出てくる人を別の人に変える技術のことです。

合成元となる動画を用意して、それに出てくる人物を他の人物に変えるという感じです。


これだけ聞くとふーん、で終わりそうです。

 

ですが実際はそんな呑気な話でもありません。

その理由は、インターネット上に一体どんな動画が溢れているのかを思い出して頂ければわかると思います。


そして世の中には有名人と呼ばれる人達がいます。

 

素材が揃っていますね。


さて、何ができるでしょうか。
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今は合成元となる動画が必要ですが、この技術が発展していくと、ほぼ無からリアリティのある動画を作成できるようになるかも知れません。


そうなると怖いのが、これが日常に浸透してくることですよ。

 
少しオカルトじみてますが、例えばニュースキャスターの〇〇さんが実はディープフェイクだったのだ!とかだったら結構怖いじゃないですか。

 
今のところは恐らくそういう事は無いですが、今後どうなるかはわかりません。


つまり今後はそういう意味で動画も信頼できなくなるんだと思います。

今では写真がその真実を映し出していないのと同じです。


まぁ動画の信頼性といっても、リアルなCGなどがあるので今さらだろ、と思われるかもしれません。

確かに映画なんかのCG技術は現実と区別がつかないレベルになりました。

ですが、AIでやるような自然な人の顔の合成とかはできなかったじゃないですか。

仮にできたとしても、AIはコンピューターによる計算で実装されているので作業スピードの面では敵わないですよね。


なので問題なのは、繰り返しですがやはり日常への浸透だと思います。


これは普段動画越しで関わっているもの全てが対象になります。


TVやYouTubeなど、画面越しに相手が存在すると僕達は素朴に思っていますが、それが信頼できなくなるということです。


つまり技術の進歩に伴い、いつも見ている〇〇さんが実はディープフェイクだった、ということがあり得るということです。(極端ですがね)
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そうなると話が飛躍しますが、現実って何だ?と思いませんか。

 

...は?


まぁ流石に話が飛び過ぎなので、軽く説明します。


ここでAIの発達した未来の日本に住むAさんがいるとします。


ここ最近のAさんの趣味はYouTube的なサイトで動画を見ることでした。


その中でも特に好きなYoutuberがおり、2030年頃からひたすらその人の動画を見ていました。

名前をYとします。

 

Aさんは受験勉強などが重なり、とてもつらい時期でしたがこのYの動画に励まされ、頑張れたこともありました。

Yと自分を重ねることもありました。

 

Yのようになろうとしたこともありました。


しかし2034年に、Yは実はディープフェイクだったことが判明しました。

 

AはYを見ると、もはや不気味さと嫌悪感しか感じなくなりました。

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少し感覚は伝わりましたかね。


Yは存在しませんでしたが、Aさんにとっては現実だったということです。

 

つまりAさんは、現実ではない事を現実と同じように感じていた。


しかし客観的には現実ではなかった。


だとすれば現実って何なんだ?ということです。

僕たちは現実というものが存在していると素朴に考えています。

 

 ですが、実際はそんなに単純ではないんじゃないか?ということを言いたかったです。

 

まあ反論はいろいろあると思います。

 

例えばAに関しては単なる錯覚に過ぎなかったのだ、とかですね。

 

ですが錯覚だったとしても、Yがディープフェイクだと知る前は彼の中では現実感を伴った現実として認識されていたはずなんです。

 

現実感をともなった錯覚というのは、現実ではないのか?と思います。

 

それに錯覚だと思ったこと自体が、何年後かには錯覚だったと気づくかもしれない。

 

だとしてもその間は彼にとって現実だったという事実は変わらない。

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考えれば考えるほどわからなくなってきました。

 

僕個人の中でもこれだという結論は出ていません。

 

分からないなりに我々で考えていきましょう、という話でした。

 

以上