低俗なものは我欲や自己都合を満たすためのツールとして表現されている。
高尚なものは表現する対象それ自体が目的にされている。
低俗なものは低俗な感情が下にある。快楽、金銭、支配、名誉、嫉妬。
高尚なものは高尚な感情が下にある。美、郷愁、崇敬、愛、信仰、歓喜、悲哀。
両者の違いは、表現の中に「我欲」「自己都合」など他の目的が介在しているかどうかにある。
低俗と感じる物は、名誉や承認、金銭などの自己都合が介在しているため表現の純度が低くなる。表現の中に異物が混ざっている感じ。
例を一つ挙げればマスメディアで垂れ流される広告などがそうだ。
一見「美」「歓喜」などの感情を表現しているように見えるが、実際は視聴者の消費を促すための物なので表現として抽象度が低くなっている。
関心が表現する対象自体に存在しない。あくまで別の目標を達成するための道具に過ぎない。故に「美」など目的が達成できなければゴミと同じだ。
低俗なものに対する嫌悪感は恐らくこの原因に収束している。
ある表現が、自己都合(金銭,承認,支配など)を満たす手段に使われており、それ自体を表現するために行われていない場合。
それらは表現する対象、感情を目的を達成するためのツールとしかとらえておらず、その意味において利用価値を見出しているに過ぎない。
利用価値が無ければそれら感情に対する見せかけの敬意すら払わなくなるだろう。
つまり、本質的に表現に関心が無いということになる。低俗な表現は表現自体に価値を全く見出しておらず、その結果による利益のみを求めている。
低俗な物は、表現自体には何の関心もない。
その矛盾、不整合、適当さに、嫌悪と嘔吐を感じる。