感情の世界とINTP

突然ですが、INTPのMBTI機能スタックを思い出してください。

1. 内向的思考

2. 外交的直観

3. 内向的感覚

4. 外交的感情

8. 内向的感情

8番目に注目です。内向的感情ですね。

INTPにとって一番使ってないし意識もしない機能らしいんですけど、マジでそうだなって思った話です。

 

挨拶の役割ガチでわからんかった

今思えば...ですね。

当時の自分は言語的な意味でのみ解釈していました。

どんな感じかっていうと大体こんな感じです。

「挨拶?

確かに接客業の場合は売り上げに直結するんだろうけど、それ以外のメリットは何だ?

お互いにそこに居るってのは声に出さなくても見ればわかるじゃないですか。

お互いに仲良くなるのが目的なんだったら、それをそもそも欲していない自分はやる必要なくね?何故世間では半ば強制みたいになっているんだ?行動の自由は個人に委ねられるべきであり、それを制限する前提に価値を見出していないのだから縛られる理由はなくね?やるかやらないかも相互の利益を目的とするんだから、それを非難する理由もわからん。破綻してるだろ。マジで。」

みたいな。

そうじゃなくて、非言語的なエネルギーの同調にその役割があるんだよって事です。

言語を介さなくてもコミュニケーションは可能なように、その時の媒体にその意味がある。

その媒体を身近に感じながら全く感じていなかった事に驚きました。

 

つまり灯台下暗し的な話です。

 

絵文字を使う人の気持ちが初めて分かった

絵文字なんて自分だったら恥ずかしくて使えないのに、なんで世間ではこんなに使われてるんだ?と思ってました。

だって、喜んでいるかどうかは文字で書けば分かるじゃないですか。なぜそれをわざわざ絵にするんですか?って感じです。

 

まぁこれも言語の限界っていう話につながるんですよね。

例えば、ホームレスが宝くじで3億円当てたとするじゃないですか、その時の喜びって「喜び」という二文字で全く表せていないっていうことです。

爆発的な感情の高鳴りが、言語を通ることで情報量を何十パーセントも落として相手に媒介している。

 

言語には限界がある、だから絵文字を使うことによって感情それ自体ではなく、それを発生させた媒体をコミュニケーション手段として使う。

 

具象を通して抽象を表現しようという試みなわけです。

 

* * *

 

「思考 vs 感情」という単純な二元論でもないんですよ。

 

言語は、我々の内側の感覚、感情、イメージに関してほぼ何も言っていない。

そういうことを言いたかったです。

 

内側に溢れる泉と泉同士が、お互いに流れ合うことで同質化する。それは対面を起点としている。

 

言語とは世界を解釈する一つの定規でしかないと相対化されたということです。