平常心と精神の安定についての考察

えー、何にせよ自分の知っていることだけを書かなければなりません。

 

はぁ。

 

何だこれと思いつつも、これは文章だったりを書く時とかによく言われるような事らしいが、確かに少し思い出してみると、なるほどなるほどと思う時が多い。

 

例えば突然バイクとかで走りだしそうな人の本とかでも、やはり本だからちゃんとしなきゃということで変に理屈っぽくなっているときは全然面白くなかったりするが、それが路上でのケンカとかの話になったりすると途端に面白くなったりする。

 

ということで、その人が他でもなくその人らしくなっているとどんな場合でも自然と魅力のようなものが出てくるような気がしているのだが、それを意識的にやろうとするとなんだかう、上手くいかなくなるような気がしている。

 

つまり法則化しようとすると、それに沿ってなきゃいけない、ということになって必ず不安感がやってくるようになっている気がした。

 

じ、自分はその法則に添えているのかなぁ

大丈夫か?

 

で、勿論まぁ添えているときはいいのだが、若干でも違っていると、つまり法則に添えていると安全という時は、裏返せばそうでないときは不安という事になり、精神が安定することは無いという気がした。

 

じゃあどうすれば良いのか?ということになるが、何かをするというよりかはただ、思考を落ち着けるということで良い気がした。(まぁふわっとしてるので一応下で少し書くが)

 

調子が悪い時というのは、大体相手のペースやリズムに呑まれている時のような気がするからだ。

 

また例えば「歩く」という行為は機械とかで再現しようとするとかなり難しいことから分かるように、実際はかなり高度なことをやっているのだと思う。

 

だが自分たちは実際はそんなことを意識せずにやっており、「次に前足を10cm動かす」「その次に腰を3cm前に出す」みたいなことを考えて歩いている人は恐らく存在しない。

 

意識的に制御しないと不安という感じもあるが、しかし実際にはだいたいの事は無意識で何とかなっており、もし思考でしか解決できないのであれば、世の中の人たちは大体変な感じになっていると思う。(身振り手振り、声音、表情、などなど)

 

だが実際にはそのようになっておらず、むしろ思考が絡むことで逆に不自然になっているのだとすればどうか。

 

ということで何気なく歩くように、普段からいろんなことをこのような感覚、つまり平常心で居られるのが理想なのではないか?と思っている。

 

ま、まぁこういう感じで意識し始めると大体うーんって感じになってしまうのだが。