なぜ文が描けないのだろう

ブログを書こうと思ったのは良いものの、早速書くのがめんどくさくなってきました。
普段からぼーっと考えるのが好きなので、その延長で何か書けばいいだろと思っていましたが、思ったようには行きません。
PCやスマホの前で手が止まり、そもそも言いたいこともないなら書かなくて良くね?とすら思い始めてきました。(まぁ実際その通りなんですが)
手慰みに自分の書いた文を読み返しても、そのあまりの出来に、何でこんなの投稿したんだろうと思う瞬間もあります。
特に有意義なことを発信できる気はしませんが、じゃあなんで書けないんだろうと考えてみたので、その共有という意味で書いていきます。

そもそも書くとは何だ?

いきなり哲学かよ、となるかもしれませんが僕はまずここから考えました。
書くというのは自分の中にある思想、感情あるいは事実などを、それを知らない他人に伝えるためのものである、ということです。
そうなると書くというのは、あくまで手段であり目的ではないのではないか?という考えが生まれました。
つまり、まず思想や感情などがあり、それ伝えるために試行錯誤した結果として文が生まれるのであって、それ自体は目的ではないということです。
だとするなら僕のように特に言いたいこともないのに文を書こうとするのは、構造上おかしいという事になります。

文才とは何だ?

繰り返しのようですが、恐らく感情や思想などが伝わるような文を書くことです。
例えば、相手に自分の感じた恐怖を伝えようと思い、その感じたままを相手に想起させる文ほど優れているということです。
だとすると文才は、何を表現するのか明確になっていないと発揮しようもないと言えそうです。あるかどうかは別としてですが。

順番の問題

ということは、まず書く前に自分は何を言いたいのかを100%把握する必要がありそうです。
そこから初めて技法とかを考えることができる。

結論

  1. 書く前に、自分は何を書きたいのかを慎重に見つめ直すこと。これを通して何を言いたいのかを100%把握する。
  2. どうにかこうにか工夫して書く

あまり役に立たないような結論ですが、個人的には2番にばかり焦点が当たっていたということです。
何を書きたいのか把握していないということは、ゴールの無い徒競走みたいなもんだと思います。
と、恐らく当たり前であろうことを苦労して考えましたとさ。